スペインアンダルシアへ 原点の椅子に出会う旅 vol.1

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2011年秋。20年来の夢である、私の椅子の原点の、スペインアンダルシア地方の椅子に出会う旅に出ました。
この写真を最初に見たのは、約25年前大学時代です。
こんな椅子を作ってみたい。と思ったのが椅子作りを始めるきっかけでした。
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旅とは言っても、時間も経済的にも10日間ぐらいがやっとというところでした。
いつかは、自分の目でこの椅子が作られているところを見たいと思っていたので、こんなチャンスにめぐり会ったのは、今考えてみても不思議なくらい奇跡的だと思います。

そんな、チャンスに巡り会うまでを書き残しておこうと思います。

2011年今年のお正月、いつもよりゆっくりと時間の流れるこの時。
例年にもれず、このお正月も暇をもてあます時間を過ごしていました。
麻雀を出すため、母屋の物置を物色していたところ、母が若い頃いろいろ興味を持っては挫折していたもののひとつで、7ヶ国語を同時に身につけるという教材が出てきました。当時でも10ウン万円していたもので、少しかじったものの、ほとんど新品同様の教材でした。
私も、母を見習って、好奇心だけはあるほうでなかなかひとつの物をやり続ける事が苦手です。
外国語も、数年に一度「やっぱり、英語は覚えたいなぁ。」と、興味が湧き、ちょこっと教材を買って、数週間ですっかりほこりをかぶるという事を続けてきました。
まずは、手始めに英語のカセットテープを聞き始めました。
冬中仕事場で、さんざん聞いていました。今回はなぜか前よりは続いていました。

アンダルシアの椅子
1964年の頃のアンダルシア地方グアディクスの椅子の写真
3月11日東日本大震災が起こり、信じられない被害をうけ、気持ちが落ち込みどうしていいかわからない変な、なんともいえない日々が続いていました。それに追い討ちをかけて、とてもとても大事な私達の家族を病気で失ってしまいました。
カフェでもファンの方が多く、ごんたを見にわざわざ来てくれたり、他では犬は苦手でだめ、というちいさな子でもごんたなら大丈夫、と撫でてもらったり。本当に優しくて、人思いの犬でした。言葉には表しきれない、悲しみの日々が何日も続きました。苦しい悲しいやりきれない毎日でした。
冬から一進一退という状態でしたが、とうとう4月7日に、父母妻と私が見守る中、死んでしまいました。
ごんた、さようなら。大好きなごんたさようなら。
一番やんちゃだった頃のきんた
美犬ロッキー
大町のこの地へ移り住んで、今年で21年目、その間ロッキーを筆頭に、きんた、ごんたと一緒に生活して来ました。ロッキーときんたがいる中に、ごんたが、うちの前に捨てられ迷い込んできた時には、最初どうしようと思いましたが、ここに来る運命にあったのでしょう。すぐになじんで仲間入りしました。「一緒に3頭いた時には迫力があったなぁ。」
家族、相棒、番犬として、そして毎朝の散歩の相手として、大事な役割を果たしてくれていました。体力維持と規則正しい生活の継続を知らず知らずの内に助けてもらっていました。私達家族にとってとても重要な存在でした。
散歩の途中で感じる季節の移り変わり。自然の出してくれるサインにヒントをもらい、作品に生かしたり、子供と一緒に散歩していた時には、子育てのお手本としても。悩み事や考え事も何度解決してもらったことか。
この春、ごんたに「いいよ スペインへ行ってきなよ。」って背中を押してもらったような気がしました。
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夢を叶えるFさん

春になり、黒部ダムへの道も開き、カフェフォレストも冬眠から覚めオープンしました。
地元のお客様の多いこのお店ですが、その中でも超常連の“F”さんがおられます。
うちの店では、F文庫としてたっくさんの本を提供していただいて、お客さんが自由に借りられるようになっています。文庫カフェとしても奥行をつけていただいています。
そのFさんが、世界ふれあい街歩きという番組でスペインのアンダルシア地方、ロンダというところを取材に行った映像を見ました。その中でうちと同じように手道具の刃物で木を削り、椅子を作っている街のおじさんが出ていましたよ。と、教えていただきました。
その上、しゃべっていた内容を楽しいイラスト入りで詳しく書いて持ってきてくれました。
ぜひこれは、見たいと思い、探したところ、この番組を見る事ができました。びっくり!Fさんは、この番組一回見ただけでこの情報量を頭に入れてしまえるのです。

ただ漠然と「いつかはスペインへ行ってこの椅子が作られているところをみてみたいなぁ」ぐらいにしか思っていなかったのに、同じ椅子を作っている人がまだいるんだと、映像で見てしまった時から、“行く”ことに心は決まりました。
この人[フリオ・サンツさん]に会いに行く。という目的がはっきりしたので、迷う事はありませんでした。
早速、旅のお供に、地球の歩き方と、スペイン語ひとこと会話ポケットブックを買い、例の“7ヶ国語をマスター”の、スペイン語編を仕事場のBGMにしました。チンプンカンプン、ちんぷんかんぷん・・・
聞くと、Fさんスペイン通でそれもロンダには2度行ったことがあるということでした。
今までも、私が座を草で編んだ椅子が好きという事を知っていて、新聞記事、海外旅行案内の中のお店、本の中で等々、この手の椅子が載っている写真を切り抜いたり、コピーして持ってきていただいたり、カフェ、民芸館、美術館、レストランなど、そこで撮ってきた写真などもいただいてきました。
行く時期としては、夏は展示会、仕事何かと忙しい季節で無理、冬は雪が降り出せば、除雪で無理。秋は9月の終わり頃からは大好きなきのこの季節、そして紅葉の10月。
おのずと11月になりました。
家族も応援してくれました。ありがとう!
子供たちは、Fさんと一緒に行ってついていてもらったら?とか、誰かがうちに来ると、○○さんと一緒に行ったら?と、頼りなげな私がひとりで海外へ行くという事が心配でならないようでした。「まぁまぁ、どうにかなるでしょ」しか言えない私はやっぱりだれでも心配するよなぁ。ご心配かけすみませんでした。
11月に行くことに決めました。とFさんに報告すると、今まで読んできた本の中のロンダの出てくる一節、座編みいすの出てくる一節、過去スペインへ行った時の旅行日記なども見せていただき、楽しいその時の話を、さすが大阪人、おもしろおかしく聞かせてもらいました。その他、スペイン大使館の政府観光局へ連絡すれば資料を送ってもらえる事などなど初めて聞く情報を次々教えてもらいました。数え切れないほどの資料、すごい知識と情報量。ありがとうございます!!
アンダルシア地方のそれぞれの主要観光地、ロンダの地図、観光案内などそろい、だんだん真実味が増してきて盛り上がってきました。

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準備、持ち物
リュック、パスポート、海外旅行保険、ユーロ現金、トラベラーズチェック、ユースホステルの会員証、デジタルカメラ充電池、
SDメモリ16GB、スペインのコンセント用プラグ、目覚まし時計、クレジットカード、航空券eチケット、ユースホステルの予約、
ホテルの予約、貴重品用バッグ、日本のお土産、旅の指さし会話帳、自己紹介、会話用の言葉翻訳、
家族や工房や作品や周りの自然の写真、ロッキーきんたごんたの写真、日程計画表、
Fさんからのプレゼントのトラベラーズノートブック
服、下着、洗面用具
イメージを膨らませながら、だいたいの日程の計画をたてると、準備するものも自ずと見えてきました。
友人、旅行代理店、インターネット、そしてFさんのお世話になり、前もって準備するものを用意できました。
リュックは登山や海外旅行経験豊富な友達に貸してもらい、パスポートは、5年用10年用で5000円の差ならどうせなら、10年用で取得。
ユーロ現金とトラベラーズチェックは銀行に電話連絡して予約すれば用意してくれるという事で必要分両替。
デジタルカメラのSDメモリは16GBあれば画質を良くしても2000枚以上保存できる事を知ってびっくり。まぁこのくらい撮ってくれば飽きるほど見られるだろう。
充電器はスペインの200V電圧に対応しており助かった。コンセントの形状がC型プラグの変換器だけあればよい。
目覚まし時計は、頑丈で軽く単純な機能でバッグの中で鳴り出さないようアラームのスイッチが単純なもの。
クレジットカードはほとんどのところで使えてとても便利。
航空券は、自分で格安航空券をさんざん探した後、駅前の旅行代理店に試しに聞いてみたら、とても親切な方でした。園部さんいろいろお世話になりました。もうこれで予約という時に息子が「10月28日が地球滅亡の日だから、その時お父さんがいないのはだめ」というので、そのことを園部さんに伝えたところ、ちょっと笑って、でも真剣に「少しでも気になることがあるのなら、そのあとにしましょう」と言ってまた、出発日を新たに航空券を探してくれました。最終的には自分でみつけた値段よりも、その後出していただいた価格よりも安い値段で購入できました。出発日によってかなりの価格差があるのでした。「こんなお客ばかりでは、旅行代理店もやっていけないですよねきっと。」手数料もわずかなのに、何度もヨーロッパに強いところへ問い合わせていただいて、安くてよいところを当たってもらいました。本当に良心的に対応していただきありがとうございました。他にも、いろいろ旅についても注意点を教えてもらいました。
便利な世の中になったのだなぁとあらためて思う中に、インターネットで世界中のホテルの予約ができることですね。
ピンからキリまでどんな条件にも合うところを選んで、口コミ情報も読みながら予約できました。
日本からのお土産は、椅子のお客様としても交流のある書の先生の一志水鏡さんに一筆書いていただきました。「一文字か二文字でなんという字にします?きらく?」という、先生の直感に従って“木楽”という字をお願いしました。素晴らしい字でとても気に入りました。さすが!楽という漢字は象形文字で、枝の先に鈴を付けて踊り、神様を喜ばせるという意味があるそうです。サービスで“愛LOVE”という書もいただいてしまいました。ありがとうございました。
他に“祭”と書いてある日本手拭い、紙風船、折り紙、千代紙、チョコレートやあめ(普通に袋入りのが意外とおいしいと人気があるそうなので)、日本らしい絵のカレンダー、あとは子供からウルトラマンのカード。
旅の指さし会話帳とは、よく使われる会話や単語と一緒に楽しい挿絵がのっていて、相手にも絵と単語を指さしてもらって話をするという本のことです。これがとても役に立った。
自己紹介、家族紹介、身の回りの事や住んでいる所、大町の自然、自分の椅子について、この旅の目的、とにかく言いたい事を羅列、テレビで見たロンダのフリオさんのことなどをスペイン語訳したノート。これも、インターネットのお世話になりました。
家族、家、大町の自然や椅子の写真、お守りにロッキー、きんた、ごんたの写真そしてFさんからプレゼントしていただいたトレベラーズノートブック。これは、かっこいい革
カバーのついた旅日記帳。
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10月30日出発

高速バスに乗り新宿へ。
千葉の船橋に住む姉家族の家へ1泊お世話に。

31日成田空港12:00離陸ということで3時間前までに空港へ到着しなければならないとなると、当日は難しいなぁとおもっていたら、旅行代理店で、大町から成田空港へ直行のタクシー(9人乗りのジャンボタクシー)があるというのを聞いてびっくり。うちのような山間部でなければ家の前まで直付けで、成田のフライト時間に合わせての運行というのだ。ちなみに大町から成田の値段は12,000円。
普通に運賃と、1泊を考えたら楽だし安いんじゃない。
今回は、姉のところがあったので助かった。
何年ぶりかの新宿でもう外国へ着いたような戸惑う感覚。高速バスの途中休憩のサービスエリアで購入した信州ラーメンをめいっこにお土産に持って、船橋へ到着。姉のところでそう言ったら、「あんた、だいじょうぶ?」だめかもしれない。ジャンボタクシーで行った方がよかったかも。
めいっこのお土産の希望は、コルドバの銀細工。よしっ任せとけ、と言ったものの、大丈夫かな。
これから数日、白いごはんはおあずけかな、と思いながら夕飯を味わっていただきました。

10月31日 離陸

6:10起床。
8:30姉の家を出発。「行ってきます。」
成田空港到着し、無事出国手続き通過。
緊張したけどまだ、日本語が通じるのでよい。

12:00離陸!まずは、中継地フィンランドのヘルシンキへ向けて出発。
ジェットエンジンの背中に感じる急加速は快感だ。
フィンランド航空、早速機内食。チキンカレーとトマトソースのパスタを選択と言う事でパスタに。ペンネのトマトソースはとてもおいしかった。
kiriのチーズ、丸パン、茶そばは自分でつゆとのりをかけいただいた。みかんゼリーとクラッカー2枚。お茶、コーヒー、紅茶、水、トマトジュース、チョコレートなど頼めばいただけた。腹いっぱい。
時差−7時間。腕時計の針を戻した。
途中、フライト案内
飛行高度 11600メートル 高っ
速度 987キロメートル毎時 速っ
外気温 −55℃ 寒っ
約10時間のフライトでヘルシンキ空港へ着陸PM3:00
途中、おやつタイムもあって驚いた。
焼きうどん、キットカット、飲み物いろいろ。
ヘルシンキ空港はこぢんまりしてとても分かりやすかった。
しかし、入国審査の時の検査がとても厳しく緊張した。
ベルトも外して、ポケットのボールペンも取れ、と言われてどきどきだったが、一回でパス。ほっ・・・
Fさんの奥さんがイタリアへ行った時に同じここを通り、ハンドクリームがひっかかって、イケメンのお兄さんだったけど、ボディチェックが厳しくひどい目にあったわと聞いていたので余計どきどきだった。乗り換えは、バスで飛行機まで移動し、タラップで乗り込む式だった。外の空気が大町と同じ感じでちょっとホッとした。
気持ちよかった。
ヘルシンキからスペインのマドリードまでは、約2950kmのフライト。
機内アナウンスはフィンランド語?とスペイン語と英語。「ポルファボール」(おねがいします)しか聞き取れなかった。
17:00発なので、日本では真夜中のはずなのに、緊張のせいかぜんぜん眠くない。
よくわからないパンの食事が出たが、口に合わなかった。
無事スペインの首都マドリードに着陸。現地時間20:25
日本時間では朝の4:25と言う事か。時差ボケ解消できるかな?
こんがらがるなぁ。何時に、うちへ電話すればいいんだ?
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最初の宿、ユースホステルサンフェルミンに到着。朝食はこの食堂で、シリアルとミルクとパンとコーヒー。清潔だった。
空港から地下鉄(metro)に乗って、サンフェルミン・オルカスールという駅まで行き、ユースホステルサンフェルミンまでは歩いて20分ほど。地下鉄は路線図さえ持っていれば、色分けされていて2回の乗り換えも分かりやすかった。切符を買うのは少し戸惑った。
駅に着いて、右も左も分からなかった時、親切なかっぷくのいいおじさんが私の格好を見て、向こうから「フベニル?」(ユースホステル?)と聞いてくれて、「スィー。アルベルゲフベニル、サンフェルミン」と、やっと言えたら、とても大きなジェスチャーで道を教えてくれて感激。「グラシアス」(ありがとう)「デナダ」(どういたしまして)これだけの会話だったけど、すんごくうれしかった。
本当にローマ字読みで棒読みでも通じるんだ。
マドリッドのアトーチャ駅。構内に熱帯植物園があり池には亀もいてびっくり。
ユースで知り合いになった台湾からの留学生とはここでお別れ。とてもとてもまじめでいい人達。英語もスペイン語もできなくてよく来ましたねと驚かれた。そりゃそーだよね。英語、スペイン語、その上日本語もできる若いのにすごい人達だった。日本にもぜひ来てくださいね。案内しますよ。
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マドリッドでは観光せず、コルドバへ。AVE(スペイン版新幹線)にて。
指さし会話帳でコルドバまでのチケットが買えてひと安心。68.9ユーロ成。ここでも荷物のX線検査があったがすんなり通過。
AVEアベの乗り心地はすごくいい。
なだらかな山なみと、オリーブ畑がどこまでも続く車窓。
夏ならばきっとひまわりが一面に咲いている景色もあったのだろう。
しかし、同じ景色が続くなぁ。時々、歴史的価値のありそうな建物が通り過ぎる。森らしい森は無い。大きな木は、時々家があるとその周りに立っていた。
荒野という感じ。あまり、肥えた土とはいえないように思うがほんとうのところは、わからない。オリーブにとって最適な環境なのは確かだ。
1時間42分でコルドバ駅へ到着。
コルドバ駅周辺は、都会的だ。地方観光都市といったところ。
メスキータに向かう。
「ペルドン?」(ちょっとすみません)
「メスキータに行きたい。どこですか?」を、道行く人に訪ね歩いた。
聞いたのはいいけど、たいてい早口でぺらぺらぺらぺらと、まくしたてられ、全く何を言っているのかわからない。指差す方向へ歩いては、また、先で聞いてみる。答えは「スィースィー バレッ。」(はいはいOK)そして、「グラシアス、ムチャスグラシアス!」(ありがとう、本当にありがとう)すると、たいてい「デナダ」(どういたしまして)と返してくれて別れる。
みんな本当に親切に教えてくれて感激。とにかく優しい。
心より「gracias」
やっとメスキータに続く小路のユダヤ人街に入れた。

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ユダヤ人街に入ると、急に道が狭くなり、絵の世界に入り込んだような小路の街が続く。
カメラを向ければどこを切ってもさまになる。
歩くところは、全て石畳。外壁は漆喰かレンガか石組み。内壁は、やはり塗り壁がほとんどで、小屋組みや2階の床組みはがっちりした木組み。
電柱らしきものは見当たらない。
外灯、看板、またそれらを支える鉄のささえ、陶製の道標、全ていい。花の小道という一角も、今は季節的にそれほどではなかったが、白壁、窓の鉄格子や手すりの間から鉢植えの花が咲き乱れていた。初夏の頃はさぞかしきれいなんだろうなぁ。
やっとメスキータにたどり着いた。
チケット売り場で並んで、自分の番。「それだめ!」チケット売り場のおじさんが指差した先には、大きなザックを背負った絵に×印がついていた。残念。
あきらめて、まずは今日の宿へ。メスキータからは徒歩5分くらいのところだったのですぐ分かり助かった。
下がメスキータの中。この柱が850本もあるという。
上の塔がミナレットと呼ばれる尖塔。ある時間が来るとでっかいベル(鐘かね?)が縦に回転してしばらく鳴っていた。
素晴らしいステンドグラス
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コルドバの街並み
どこを切り取っても、絵になってしまう。
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幻想的な響。楽器の名前は、残念ながら忘れてしまった。
グアダルキビル川をわたりカラオーラの塔側から、ローマ橋越しにメスキータが浮かび上がり素晴らしかった。
人が歩いているだけなのに石畳がぴかぴかに磨き上げられ、まるで雨に濡れているように映りこんでいた。
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コルドバのユースホステル近くで夕飯。「セルベッサ(ビール)、ポルファボール」さんざん歩いて、疲れていたのでビールがいっそううまかった。
お店の人に「お勧めタパス」を聞き、頼んだ。
失敗。どれもしょっぱくて、半分くらい残してしまった。
ほとんど、食べ物を残す事のない自分なので、そうとうだった。
コルドバのユースは、清潔で雰囲気もよかった。
27ユーロは、安い。朝食はまぁぜいたくは言えないところ。
4人部屋だが、オフシーズンと言う事もあって一人でのびのび。
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メスキータを出たところ、人だかりがあり、近くへ行ってみると、どうやらサッカーチーム。カメラマンや取材の人たちでごちゃごちゃだった。後で、電車に乗ったとき見た新聞記事にでかでかと載っていて、クラブチームだったようだ。イケメンぞろい。に見えた。
あそこで、何のために記念撮影をしていたのかは、わからない。読めなかった。
革細工職人の工房を窓越しに見学。
あやつり人形の工房。
絵本にそのまま出てくるような職人さん。
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コルドバ駅でロンダ行きのチケットを買った後、時間があったので、大ザックをコインロッカーに預け、観光地とは反対の街中を散策した。スーパーマーケットに入ってみた。ヨーグルトを買ってみた。街中の店はやっぱり安いんだ。水が2リットルで0.99ユーロだった。駅中だと500ミリリットルで1.50ユーロ。そりゃそうか。どこも一緒だ。
お昼は駅中のカフェでハモンセラーノのハムのサンドイッチで腹ごしらえ。
家へ無事を知らせる電話をした。
5ユーロでテレフォンカードを購入。爪でスクラッチし、そのカードの番号を押し、交換のアナウンスを聞いて番号ボタンで応え、最後に日本の国番号から携帯電話へ。交換が聞き取れなくて苦労した。カタコトはこういうところで思い知らされる。
10回くらいもチャレンジしたかな。やっとやっとかかった。途中めげそうになったがあきらめなくてよかった。
どうせ5分もすれば切れるんだろうと、何時切れるか分からないから、簡単に無事を伝えてと思ったら、あれあれまだ切れないまだ切れない。20分以上も話していた。こんなに、妻と電話で長話なんて結婚前以来だった。家の方も無事で何より。ひと安心。
コルドバからアルヘシラス行きのレンフェ(列車)に乗り、この旅の一番の目的地ロンダへ。
17:03コルドバ発
18:51ロンダ着 32.80ユーロ成
乗り心地は、アベほどではなかったが、良かった。
想像とは全く違った。新市街のメインストリートはモダンな店が続く観光地の道だった。 
ロンダでの宿泊は、日本で予約していったホテル。プラサデトロスという闘牛場のすぐそばにあるホテル。シングルで頼んでいたのだが、ここもオフシーズンのためかツインを同じ宿代で良いとのこと。とてもきれいでセキュリティもしっかりしているようだし、感じの良いホテルだった。ユニットバスにお湯をためて、久しぶりにザブーンッ。気持ちよかった。
ホテルプラサデトロス入り口
とても感じが良く、連泊させてもらった。
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新市街から旧市街を望む。
ヌエボ橋は迫力充分、圧倒された。
さて、フリオさんの家を歩いて探すぞ!雨は降り出してしまったけど。
ロンダは新市街、旧市街が、グアダレビン川という深い渓谷で分けられていて、町のシンボルであるヌエボ橋によってこれらがつなげられている。
フリオさんは、この旧市街のどこかに住んでいるということだけは分かっている。絶壁の上に広がる町だからがけっぷちまで行けば、引き返し、回り込んで歩けば、そしてくまなく歩き回れば当たるだろう。
ヌエボ橋をわたり、旧市街へ。写真では見ていたが、実際はやっぱりすごい。よくここに橋をかけたなぁ。当時の職人達の技術の高さは今ではまねできないのだろうなぁ。
教会に行き着き、入り口のところで雨宿りさせてもらった。祭壇に向かって長椅子がきっちり並べられていた。一番後ろのいすのところにかごがあり、紙にいろいろ書いてある。何行目かにHODOKOSIと、読めたので、2ユーロコインを入れ、祭壇の前で、どうかフリオさんの家に行き当たりますように。と、お願いをしてしばらく見学させていただいた。写真を撮ってもいいか案内の方に尋ねたら、こころよく「もちろん!」と言ってくれたので、パチパチッ!
そうこうしている内に、一番正面の祭壇に作業服のおじさんが2人、はしごをかけて、どうも電気工事を始めたらしい。あれれー、荘厳な雰囲気が吹っ飛んでしまった。
この教会を出たところで、雨も風もやんでくれた。時々日も差し始めた。天の神様も味方についてくれたのかな。ありがとうございます。
ロンダの特徴である、100メートルを越す断崖絶壁のすぐ際に建つ家々。
遠くに見える立派な建物は、ロンダのパラドール。
パラドールとは、中世の古城や修道院など、歴史的建築物を改装した国営ホテル。
1泊ぐらいは、と出発前までは思っていたけれど、結局縁が無かった。貧乏性だなぁ・・・背伸びできなかった。
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煙突ひとつとっても楽しい。うれしくなってくる。
迷路のような旧市街の細い道を歩き回っていたら、気がつくといつのまにかヌエボ橋に帰ってきてしまった。もう1周してしまったのか。思った以上に範囲は狭い。可能性は充分ある。なぜか、会えない気がしない。この根拠の無い自信はどこから来るのだろう。
歩く道は、全て石畳。壁は塗り壁
か石積み。扉や窓枠は木。手すりや格子は鉄。全てが無垢。石油製品をほとんど見ない。あせらず、ゆっくり時間が流れている。この心地良さは味わった事がないなぁ。
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